いなか道を、すり抜けていく
稲が青々して、いつの間に。
道横のはたけに、葵のはな、が、たくさん咲いていた。
おうちのせいりしてたら、
友達をかいたえが、出てきた
その人そのものであった、
また、おきにいりの、場所も、ひろびろとした、古代の公園のよこの、ベンチにすわるのが、すきだと、かいていた。
いまは、そのことの、かんかくが、少ししか、残っていない。
よくいってた、そういえば、きおくは、あるけれど。
むかしの、ぶんめんが、なければ、永久に、おもいだすこともなかった。とうじの、えも、のこっている。
日記は、文字だけより、えつきのほうが、のちの、感動は、あるなあと、おもう。えは、感情の、写し絵である。
もじは、機械でもうてる。
とうじ、歩いてなんキロもあてなくいって、いつも、かえりは、知らないかたたちに、おくってもらっていた。不思議と。
あるときは、山を降りるとき、ご夫婦に、ひらってもらったり、
近所の青年に、ひらつてもらったりしてた。
思い出すなあ、かえりは、やっぱくるまは、らくだなあと、おもったりしてた。
ヒッチハイクするきは、更々なく、
声かけが、自然はっせいするので、不思議。
それはともかく、暑くなりそう。
本日は、日曜日。
きのうは、ちかくの、同じチェーンの、らーめんやさ"、わざわざ、遠回りして、さがして、食べる。いつもより、めんが、かたい、とか、すこーし、内容違う。
きょうは、いつもの、ラーメンやさん。
一生懸命いく。