2019年5月30日木曜日

場所がない

演奏の場所に、だれかしている。

いつものもうひとりのかたは、時間を、延長中

仕方なく、違う場所に移動→優しくいれていただく。びっくり。しかも、硬貨でなく。

外国のかたも、こそっと、いれてくださる。

場所が場所だけに、どこで、見ておられたのだろうと、不思議に思う。

いつもしているところに移動も、いつも、終わる時間をすぎても、えんえんと、されるので、こうえんで、まつことにする。

となりベンチにに、アジアのわかものが、すわり、ないている。
じょせいからの、れんらくかな、きたら、笑い顔になった。ほっとした。

場所があいたけれど。すでに、終電ちかしになって、30ふんしか、できなかったけれど、みなさん、次々と、やさしくしてもらって、いつもより、じかんてきには、はるかに、うえだった。

  りさいくるで準備した、白っぽいずぼんと、明るいジャケットが、良かったのかなあとか、おもった。みんなのまねして、さいしょ、黒装束にしてたのは、間違いだったみたい。いろのついたのは、身につけない。

歌は、はるかに、真面目に歌えるようになってきた。ほかのひとの、路上ライブのツイッターみて、自身も、もっときっちり、演奏、歌できるように、心構えをよくしなくては、いけないとおもった。


温かくなってきたからかなあとも、おもう。

多次元の要素は、解明は、むつかしいけれど。悪化はしてない。

さらに、真面目になってきた。

ご飯食べていったのは、大きい。しかも、つくってもらって。